Project
BAKERU
Concept
東北に古くから伝わる祭りや伝統行事をモチーフにした体験型の映像インスタレーション作品。この作品では、人間以外の存在に“化ける”という不思議な行為を、インタラクティブな映像表現によって体験できる。「なまはげ」「鹿踊」「加勢鳥」「早乙女」の4種類の伝統行事をモチーフにし、WOWの解釈を加えてビジュアライズした。スクリーンの前でお面を付けると、自分のシルエットがそれぞれの姿に変化して、その行事が人々にもたらす恵みがアニメーションで映し出される。自分以外の存在、人間以外の何者かへと“化ける”という不思議な力を、楽しみながら体験する試み。東北の風土が生んだ伝統文化に、まったく新しい表現を通して触れてもらうことで、その価値を次の世代へ受け継いでいきたいという願いを込めた作品。

BAKERUについて
「BAKERU」は会場で配られるお面を着けることにより、スクリーンに映る自分の姿がいつしか自分ではないものに変化し、東北の伝統行事をモチーフとした4つの世界観を体験することができるインスタレーションです。 WOW20周年という節目に作品を制作するにあたり、私たちWOW仙台を中心とするチームは半年以上にわたって、本作品を作る意味や取り上げるべきテーマについて議論してきました。 東北の地にいる自分たちが今表現すべきことは何なのか。自分たちの住んでいる土地の歴史や文化をしっかりと認識すること。それらに敬意を払いながら、現代の視点で見直すこと。自分たちの活動が、このような文化を一歩先に進める力にならないか、と。 震災以降、各地で一度は失われた祭りや芸能が復活する例が多く見られました。それらは伝統を引き継ぐということとは、また違った意味が与えられています。太古から続く物語を受け継いできた伝統行事や祭りは今、コミュニティを再び結びつけるという新たな役割を担っているのです。 面白いことに何かに“化ける”とき、私たちは決して弱い存在にはなりません。お祭りの演目にしろ、豊穣を願うにしろ、子どもがおもちゃでヒーローやヒロインになりきるにしろ、そこに現れるのは何かをより良くしたいとか、力強く生きたいという人間の普遍的な願いです。 祝祭や芸能について考え、人ではない何かに“化ける”こと、そして願うことについて今一度想いをめぐらせることは重要な意味を持つのではないか、と私たちは考えました。そこから“化ける”行為をテーマに、その象徴的なアイコンである「面」を身に着けることをトリガーとして、人々の願ってきたことやその世界観を体験できるようなインスタレーションにする、というコンセプトが決定しました。世界観は東北の伝統行事から、「なまはげ」「鹿踊」「加勢鳥」「早乙女」の4種類をモチーフとしています。 様々なフィールドワークを行う中で、物語について、願うことについて、お囃子の重要性についてなど、様々な発見がありました。この作品が皆さんの身近にある文化の魅力を再発見する機会となることを願っています。


郷土芸能 × テクノロジー = 新しい継承のカタチ
※以下の記事は、2017年3月に開催した「ハレとケ展」のインタビュー記事になります。 2017年3月18日(土)〜22日(水)、せんだいメディアテークで開催する「ハレとケ展」にて、東北の伝統行事をモチーフとした新作体験型インスタレーション「BAKERU(ばける)」を公開します。人々はお面や装束を身に着けることで、豊作や無病息災をもたらす存在へと変身し、その土地の伝統として代々受け継がれてきました。「BAKERU」のモチーフとなった「なまはげ」「鹿踊(ししおどり)」「加勢鳥(かせどり)」「早乙女(さおとめ)」の他にも、数多くの伝統行事が東北地方に存在します。 そこで今回は、テクノロジーを用いて郷土芸能の研究を続けている、東北大学大学院教育情報学研究部・教育部准教授、佐藤克美先生にご自身の活動、そして郷土芸能の歴史と今についてお話を伺いました。 佐藤克美(さとうかつみ) 1972年、山形県鶴岡市生まれ。博士(教育情報学)。東北大学大学院教育情報学研究部・教育部准教授。「ICTを活用した学び」を研究の軸に据え、学校教育だけでなくさまざまな教育の現場、学びの現場でのICT活用の効果等について教育情報学の視点から研究している。これまではモーションキャプチャやCGアニメーションを用いた舞踊の学習支援などを行ってきた。東日本大震災を機にこれまでの研究をベースに、郷土芸能の継承支援、郷土再生にICTが果たす役割についての研究を始め、最近ではICT、特にVR等を用いることで郷土芸能の継承に対し新しい支援ができるのではないかと試みている。 —WOWでは「伝統行事」という言葉で、今回「BAKERU(ばける)」のモチーフとなる東北の芸能を表現していますが、佐藤先生は「郷土芸能」という言葉を多く使われています。「郷土芸能」にはどのようなニュアンスが込められているのでしょうか? 佐藤克美先生(以下、佐藤) 私は「その地域で行われている芸能」を支援しているという立場から、郷土芸能と言う言葉をよく使います。地域で披露される芸能は、「伝統芸能」「民俗芸能」「郷土芸能」など、さまざまな言われ方をします。ただ、どういう言葉で表現したとしても芸能自体が変わるわけではないので、個人的には正直どれでも良いと思います。私も、伝統芸能と言った方が相手に私の意図が伝わりやすいと思う場合は、郷土芸能ではなく伝統芸能という言葉で話をします。例えば、「なまはげ」などは「伝統行事」とか「伝統的なお祭り」と言った方が、相手には伝わりやすいと思うので、WOWさんの表現は良いと思います。 —佐藤先生は、郷土芸能をモーションキャプチャーして教育に役立てる、というユニークな研究をされています。なぜこのテーマに行き着いたのですか? 佐藤 はじめは郷土芸能自体に興味があったというのではなくて、郷土芸能の教え方に興味を持ったんです。郷土芸能は一般的な学校教育と違い、システマティックな教え方をしていません。例えば、バレエだったら基本のポーズから教え始めますが、郷土芸能は「一番簡単な曲だから、とりあえず踊ってみろ」なんです。「見て覚えろ」「学び方はお前たちの自由だ」など、段階的に教えることがありません。それが日本の特徴らしいんですが、そういった細かく段階分けしないというところに興味があって、それが新しい教育の視点になるんじゃないかなというのが最初のきっかけでした。 —教育方法としては伝統的だけれど、逆に今新しいのではないかと。それを情報技術と組み合わせる研究をされている。 佐藤 そうです。これまで日本の教育が上手くいっていた理由は、先生がすごく熱心だったからだと思うんです。でも今は逆に、熱心過ぎるのが足かせになっている場面もあると思っています。一方で、学校教育でのICT(※1)活用は、あまり上手くできていないのではないかという思いもありました。せっかく誰でも簡単に、ICTが使えるようになってきているのだから、先生が授業をパワーポイントにする、というようなことよりも、学生たちが情報を自由に利用できる方向性があるのではないかと考え、適していると判断したテーマが郷土芸能だったんです。 まずはじめにやったことは、モーションキャプチャでの撮影です。これまではベテランの動きを研究するため、上手い人のデータ取っていました。でも「上手い下手なんて気にせず、自分たちが使う道具として、自由に使ってみて」と学生たちを撮影したんです。最初は嫌がる学生も居ましたが、それでも自分たちなりの使い方を模索して「ここをこうしよう」とかっていう自分たちの利用方法をどんどん編み出していくのがおもしろかったんです。こうして継続していく中で東日本大震災が発生し、「せっかくここまでやってきたのだから、今度は支援に乗り出そう」となったのが、現在までのいきさつです。 ※1 ICT:「Information Communication Technology」の略語で、情報通信を利用した情報や知識の共有・伝達技術の総称。 —デジタルな手法による面白い発見はありましたか? 佐藤 想像以上にベテランの方が喜んでくれたことですね。研究を始めた当初、郷土芸能にモーションキャプチャやCGを持ってきたら、嫌がられるんじゃないかと心配していたんです。むしろ、嫌がっていたのは若者。紐解いてみれば、ベテランの方の世代はラジオに興奮したり、テレビとかの技術の革新を肌で感じたりした世代なので、意外とテクノロジーを受け入れやすいのかもしれないですね。 —これまでもおそらく、ビデオで撮影するということはしていたのではないかと思います。それとモーションキャプチャのような技術の違いはどこにあるのでしょうか? 佐藤 人が撮った映像は見たいところが違ったりして、案外役に立たないらしいんです。ビデオの撮影は撮る人の意図が入っているので、特にうまい人が撮れば撮るほど、プロが撮れば撮るほどすてきに仕上がっちゃう。今どうしたいかっていうのが撮れていなかったりするらしいんです。一方でモーションキャプチャーは客観的で、自由な視点で見れるデータが取れます。 青森県 法霊神楽のモーションキャプチャの様子 —それを見た方はどういう反応をするのでしょう? 佐藤 ベテランの方は素直に喜びます。「おお、俺だあ」って。全然気づかなかったことを見つけたっていうのは、実はあんまり聞かないですね。逆に弟子の人たちは自分の撮影データを「全然違うじゃん」と言ったりします。下手になればなるほど自分って気づかなくなるんですよ。 —それは実際に踊っている自分のイメージと、はたから見て、自分が実際に動いているイメージがマッチしない、という。 佐藤 そうですね。マッチしなくて「これは俺じゃない」とか言い張るっていうのがしばしばあります。でも周りは分かっていて「それお前だから」っていう。 一同 (笑) —モーションキャプチャで撮影されていた期間はどのくらいですか? 佐藤 数ヶ月おきに撮影して、約2年間です。被験者の方は自分の記録を見て、変えて、理想のかたちに近づけていました。自分がイメージしている姿と実際に撮影された姿のギャップを知ることによって、「どうしてなんだろう」といった疑問や向上心を生むんでしょうね。ただ自分の理想と師匠が言う理想は違うので、直した結果だめだったということもありましたね(笑)。じゃあこうしてみようとか、とにかくやってみるっていうのが郷土芸能の面白いところ。質問があるから聞くんじゃないですよ。やってみて、「師匠、どうですか」と。 —郷土芸能の練習は、どのように行われているんですか? 佐藤 練習方法もアバウトですよ。普段は誰も音楽をつけてくれないので、自分の口でリズムを取りながら、1〜2分の区切りを繰り返し練習しています。西洋音楽のように、音楽の速さが正確に決まっていないので、「ゆっくり練習したい」と思ったら自然にリズムがゆっくりしているし、気分が焦っていれば速くなっていますね。メトロノームを使ってやることは絶対にないので、本番も練習と同様、速い日もあれば遅い日もあります。早く終わらせたいから、寒いから、雨が降るからとかいった理由で速くなることもあったりします。 曲の構成も、厳密には決まっていません。失敗したらこの部分をもう一回入れる、というのが決まっているので、例えば、踊り手が扇子を落としてしまっても、扇子を拾う間は曲がループして踊り手を待ちます。柔軟性があって、失敗しても全然困らないんです。踊り手が曲に合わせるから上手くいくということは、逆に言えば踊り手は同じ部分をずっと繰り返されると、永遠に踊らなければなりません(笑)。 —郷土芸能の歴史についても伺えればと思います。郷土芸能は神様への奉納として生まれ、時代と共に変遷してきたと聞いています。 佐藤 例えば東北の芸能の中には、山伏により伝えられてきたとされるものが数多くあります。山伏と言う専門家によって芸能が継承されてきたわけです。明治時代になって神仏分離令が出され、山伏(修験道)も廃止されました。その結果山伏は神官になるか、農民(一般人)になるかしかありませんでした。しかし、彼らが普通の農民になったことにより、専門家のものだった芸能などが、徐々に一般の人のものになったそうです。そして、それらが地域に密着したことで、郷土の芸能として、今ある多くの郷土芸能としてかたち作られていったのではないかと思います。ですので、私はこういった芸能が「郷土」芸能になったのは、明治以降だと言っています。もちろん古くから郷土の芸能として伝わってきたものもありますけど。でも、そのプロだった人の技術が地域に密着したものになってきて、徐々に普通の人にも広がっていって、郷土の芸能としてかたち作られていったものが郷土芸能なんじゃないかと思います。 —伝統的な面や衣装は、どのように生まれ、伝統になったのでしょうか? 佐藤 変わらないと思われている衣装も、実は時代に合わせて変化しています。田植踊の早乙女が女装なのは、実のところ単に女性も田植えをしないと労力が足りなかったということかもしれませんが、田の神に仕える早乙女は女性なので「女の子が田植えをしないと、豊作にならない」などという言い伝えがもとになったりしています。現在の見栄えのする衣装になったのは、恐らく小正月のころ各 戸を踊り歩いたり、村をあげてのお祭りになってからで、当時も今のような服装だったのではないかと思います。今の仙台の鹿踊の衣装は、昔と比べると控えめになっているそうです。継承者によると昔はもっと派手で、派手過ぎて禁止されてしまい、今のようになったそうです。その一方で、南部神楽のように派手に変化してきたものもあります。ちなみに、南部神楽には大会があって様々な衣装を見ることができます。演目はその団体が演じているものから、一演目約30分以内で自由に選択できます。 朝から晩までやっていますからね。宮城県に100団体以上、岩手県も入れるとそれ以上の団体があるので、毎週のようにどこかで大会が開かれています。年齢層は60代以上が多いと思いますが、服装に強い決まりはないと思いますね。普通神楽には衣装にも細かなルール、意味がありますが、南部神楽はそれに比べれば、古くなければいけない、この色じゃなければいけない、といった決まりは厳しくありません。時代に合わせて変化し、作り直してきているのだと思います。 —同じ名前をもつ郷土芸能は地域によって特色があり、衣装や踊りも少し異なっているようです。もともとのルーツは同じだったんでしょうか? 佐藤 そう考えるのが自然です。鹿踊といえば、岩手というイメージがありますよね。でも仙台にも鹿踊りは伝わっています。仙台の鹿踊の人には「言い伝えによると、仙台の鹿踊が岩手に伝わった。こっちの方が古い。」と言う方もいます。鹿踊に関する昔のエピソードだと、お殿様に認めてもらえると、その団体は特別にお殿様の紋を付けてもいい、というお許しを得ていたそうです。ただ、どの団体もお許しをもらって、みんな同じ紋をつけるようになっていったみたいですね(笑)。 一般に、伝統芸能だから守っていかなければいけないもの、昔と変わっていないもの、価値があるもの、というイメージがあります。山伏神楽の「早池の岳神楽」はとても有名で、古いかたち・文化を残していると言われています。しかし、実際には時代の流れに合わせて変わってきた芸能は多く、本来の意味や形を残していないものも少なくありません。これまでの研究では、こういった芸能についてはあまり研究されてきませんでした。ものによっては民俗芸能ですらない、といった扱いになってしまいます。そういった芸能は、歴史も比較的浅いですからね。歴史が浅く、変わってしまったものは価値が低い、と思ってしまう節は、私たちにもあると思います。でもそれはそれで、また違う価値があるのではないか、と思っています。 —今回WOWが発表する「BAKERU」は、郷土芸能のお面をモチーフに、お面を着けることで自分ではない、何者かに成り代わる体験型インスタレーションになっています。「お面を着けることで神様になる」というのは郷土芸能の共通の認識なのでしょうか? 佐藤 そうですね。人間じゃないものになる、という表現の方がいいでしょうか。神楽の中には、はじめに神様を呼ぶ踊りをして、最後にお面を外して、神様とお別れする踊りをすると言うものが多いです。昔は自分が神様になるというよりも、演目の役柄を観客に伝えるつまり観客に神様を感じさせると言う意味の方が強かったんだと思います。 —震災以降、郷土芸能の活動や役割も変わってきたという記事をたびたび見かけました。現在はどのような状況なのでしょうか? 佐藤 震災直後は毎週のように「◯◯芸能が復活しました」と新聞に載っていましたが、その後も続いているかどうかは、定かではありません。やりとりをしていたけれど、連絡が取れなくなってしまった芸能もありました。ただ、震災をきっかけに郷土を強く意識したとき、郷土芸能がかなりの役割を果たしたというのは間違いないことだと思うんですよ。だから、普通に戻ってきたということは、役割を終えて復興が進んできたという証拠だとも思います。 郷土として、地域が成り立っていくためには、もしかしたら今が正念場なのかもしれませんね。そういった意味で、郷土芸能が果たす役割を慎重に考えないといけません。私は学校教育をやっていますから、「じゃあ学校で郷土芸能をやればいい」と思われるかもしれません。でも学校で郷土芸能をやると、郷土芸能はどんどん棄てられていく方向に走ってしまうのではないかとも思うんです。学校でやってしまうと、周りの人も、やっている人も、学校でやっているからと安心してしまうでしょう。学校で習った経験があったとしても、大人になっても続けるかと言ったら、決して続かない。続ける人が居ない、ということは教える人が育たないということです。郷土芸能がこの先残っていくためには、子どもたちが大人になっても続けてもらわないと困るんですよね。郷土芸能や何かしらの祭りを見ると、子どもたちや60代以上ばかりで、中年でやっている人が少ないんです。今、頑張って教えている人が居なくなってしまったら、学校のカリキュラムとしては残るかもしれませんが、一気に途絶えてしまう可能性もあります。あともう一つのピンチは、女の子ばかりで男の子がやらないということですね。やはり、ダンスや演劇って女の子が好きなんでしょうね。 —子どもと60代の間を繋ぐ世代が、これからの郷土芸能のキーパーソンになっていきそうですね。 佐藤 地域づくりというのも農学部の範疇らしく、農学部のある学生が地域振興を研究テーマにしているそうなんです。彼によれば郷土芸能が無くなって、地域が無くなっていく。地域が無くなる象徴的な過程の一つとして、郷土芸能があるのではないかと。郷土芸能が無くなるということは、簡単に言えば結びつけるものが無くなるということです。昔は皆さんが農家で同じような生活をしていましたから、結びつけるものが他にもあったと思います。現代ではそういった地域を結びつけるものがどんどん無くなり、地域が崩壊していく。逆に言えば、もし郷土芸能が盛り上がれば、地域が盛り上がる。そんな逆の考えもできるのかな、と思っています。 —郷土芸能の意味合いが変わってきたり、継承の問題があったり。これからご自身の持っている研究成果や技術をどのように使っていきたいと思っていますか? 佐藤 昔、豊作祈願などは人々にとって切実な問題でしたから、郷土芸能は宗教の側面が強い神聖なものでした。でも今の郷土芸能は、芸能の側面が強いと思っています。やはり芸能ですから、見てもらう人が居ることが重要です。あらゆるツールを使ってどんどん発表する場を作り、積極的に発表していけるようになっていくと、町おこしのスタートにもなります。芸能としても盛り上がったり、自分の郷土に誇りが持てるようになったり、といったことが起きていくのではないでしょうか。ICTが自分たちで技術が簡単に使えるようになって、発信も自分たちで手軽にできるようになってきています。芸能の良さを知らせるために使ったり、郷土の誇りを取り戻すために使ったり。そんな使い方をICTのテクノロジーに期待し、今ちょうどそれを試みているところです。

伝統の再構成 ー デジタルファブリケーション
※以下の記事は、2017年3月に開催した「ハレとケ展」の連載記事になります。 「BAKERU」会場内の4つの大きなお面は、モデリングした3Dデータをペーパークラフトとして出力し、組み立てる手順で制作されています。このお面には作品のモチーフを説明する上で、伝統を引き継ぎつつ、そこに独自の解釈を加える、またデジタルとアナログの世界の境界で、作品を制作するWOWならではの見せ方ができないか、という実験の意味が込められています。 このお面の制作方法を模索していたところ、宮城大学の演習授業でまさにこのお面のデジタル化と、制作をテーマにしていることが分かりました。お話を伺ったところ、「ハレとケ展」と新作「BAKERU」にも興味を持ってくださり、演習授業にも協力させていただくことになりました。 粘土で造形し、3Dスキャナーでデジタル化 宮城大学デザイン情報学科のメディアデザイン演習Cという科目。今年の内容は (1)学生個人がオリジナルの祝祭行事とそこで願う内容を考える (2)粘土を用いてその物語を表現する造形を制作 (3)3Dスキャンをしてデジタルデータ化、ローポリゴン化 (4)ペーパークラフトとして出力して組み立て (5)制作したペーパークラフトのお面に、オリジナルの映像をプロジェクションマッピング というものでした。身近にあるお祭りはどういう内容だったのか、どのような願いが込められていたのか、今何を願うべきなのだろう、など今日まで続く風習と今について深く考えさせられます。WOWは主に(1)と(5)で参加しています。 ローポリゴン化し、ペーパークラフトとして組み立てたお面にプロジェクション 手で組み上げたお面に、ぴったりプロジェクションする部分などはやや手間もかかりましたが、基礎から大規模の会場でも利用できる、本質的な内容までお伝えできたと思っています。学生さん達の物語や造形は面白く、凝った映像もあり、私たちも大変刺激を受けました。宮城大学の学生さんが演習授業で制作したお面は、「ハレとケ展」会場内のレクチャー・ワークショップスペースに展示されています。 ペーパークラフト お面のスタディ 最終的な展示品は、この授業でご一緒したFabLab SENDAI – FLATさんに協力いただいています。ローポリゴンで造形された伝統芸能のお面や衣装は、不思議な存在感をまとっています。FabLab SENDAI – FLATさんにより、デジタルファブリケーションならではのアイデアも豊富にちりばめられた作品。制作クオリティも非常に高く、迫力のあるものになっていますので、ぜひ会場でご覧ください。

メタデザイン思考 ー伝統と融和していくテクノロジーとツールー
※以下の記事は、2017年3月に開催した「ハレとケ展」のインタビュー記事になります。 前回お届けした宮城大学の演習授業レポート「伝統の再構成 ー デジタルファブリケーション」に引き続き、本授業を指導する宮城大学事業構想学部デザイン情報学科准教授・土岐謙次先生のインタビューをお届けします。授業と自身の経験を通して実感されている、ものづくり、道具、そして伝統と技術についてお話を伺いました。 土岐謙次(ときけんじ) 漆造形家。宮城大学事業構想学部 デザイン情報学科 准教授。 1969年京都生まれ。95年に大学院在学中に京都の現代美術画廊を中心に作品発表活動を開始。伝統的な手法にとどまらず、先端素材やコンピューター、写真を用いて漆を使った作品を制作。漆の現代的な表現を模索している。 http://kenjitoki.tumblr.com/ ー今回WOWも参加させていただいた「メディアデザイン演習C」という授業では、オリジナルの伝統行事を考えることから始まりました。そしてそのストーリーに沿ったお面を粘土で造形し、ペーパークラフト化、それを手で組み立て、映像をプロジェクションするという、文化的な要素にアナログとデジタルの制作手法が入り混じった珍しい授業だと感じました。この授業について教えて下さい。 土岐謙次(以下、土岐) まず、宮城大学のデザイン情報学科についてお話します。多くの学生がデザインという名前の付いた学科に入ってきますが、「デザインをやるぞ!」という学生は、全体の10%ぐらいしか居ません。残りの半分は建築、もう半分は情報系で、システムエンジニアやIT系への就職を考えています。その中でもグラフィックデザインやプロダクトデザインをやってみたい、という学生は本当にごく少数。さらに高校生から好きでたまらなくて、大学まで進学した学生はもっと少ないのが現状です。 ー宮城大学は総合大学ということもあり、美術大学とは違った学生が在籍しているのですね。当然入学するまでの活動も異なってくると。 土岐 一方で、「ものづくりをやりたいか」と聞くと、みんな一斉に手を挙げるんです。自分の手で何かを作るって、楽しいですからね。特にワークショップのように、提供されたことを体験するだけならみんな楽しめるんです。でもそれを自分の技術や素養にして、社会に出ていく覚悟があるかというと、話はまた別なんだと思います。だからといって、できることに折り合いをつけて、学生に教えていくのは少し寂しいんですよね。やはりこちらはマックスの状態で、出せる内容を提供したいですし。もしかしたらハードルが高くて、自分には無理だと思われるかもしれませんが、それでも真面目に取り組まないといけないことを提供しよう、というのが一つの柱になっています。極端な話、ものづくりは好きだけれど、カッターもあまり使ったことがない学生も居ます。そういう人がコンピューターを使ってデザインしようとしているわけです。結局ものづくりって、材料と道具と人の関係なんだと思います。 ーなるほど。粘土もカッターも、コンピューターを使ったCADや映像制作というのも「道具」であると。 土岐 道具という意味で言うと、コンピューターでもカッターでも、なんでも道具になりますよね。例えばカッターを使うときにはコツや力加減、刃の調子が関係してきます。切れなくなってきたら、刃を折りますが、折り方もさまざまです。専用の道具を使ったり、慣れてきたら手で折ったり。道具を使い続けるなら、自分なりに仕立てていくことも必要になりますし、仕立てていくことで、さらに道具が馴染んで上手くなっていくでしょう。もう少し踏み込んで言うと、例えばかんなを使う機会があるとします。でもそのままの状態では使えないので、木を削った結果を見ながら道具を調整していく。作業の行為と結果、道具の調子を見るというのが、一つの連関の中で実になっていくんです。これは、コンピューターも同じ感覚だと思います。僕はプログラミングもやっています。書いたコードの結果を見て、自分の中にフィードバックがあり、さらにコードを直したり、コンピューターそのもののハードディスクやメモリなどをいじったり。まさに道具として調子を見る、といった行為があります。カッターやかんなはアナログで、コンピューターはデジタルなので別物に感じてしまうかもしれませんが、僕自身はどれも同じ感覚なんです。 土岐 この演習授業では、とにかく体験してみないと分からないだろうと、粘土で造形を作ることから始めます。それを一旦デジタル化し、今度は紙に出力して触り、もう一度コンピューターに戻ってから、造形に映像を投影します。実際の材料と空間、自分の体験、コンピューターを行ったり来たりしながら、初めて出来上がってくるのがものづくりの総体です。今はどんな分野でもデジタル化がかなり進んでいますが、最終的に佇まいを整えるのは、人が介在しないとできません。それも途中から人が入ってきて、前後関係が分からずにやるのではなく、一連の流れを全て理解したうえで、初めてそれは発揮されるのです。さまざまなジャンルのデザインは上流から下流まで分業になり、それらが連なって一つの業態になっていると思います。どの部分の仕事をするにしても、前後に関わる仕事はもちろん、全体の中で自分はどんな役割なんだろう、ということを知るためにも、全体を理解するセンスは絶対必要になってきます。じゃあ今の世の中のものづくりの全体は何かというと、コンピューターもそうだし、実際のものづくり、素材、手の感覚。つまりこの授業でやろうとしていることはまさに、「まるごと全部やっちゃおう」ということなんです。 ー全部やるけれど、一つひとつの工程がちょっと苦労すればできるものが積み重なって、最終的にはどこかにたどり着く、そんな面白いカリキュラムだと思いました。プロセスとしても、グラフィックデザイン単体の授業などとは異なる雰囲気を感じます。 土岐 いわゆる美大や芸大の縦割りのプロダクトデザイン、グラフィックデザインという仕組みでカリキュラムを作ることは教員にとっては楽なんですよ。例えばプロダクトデザインなら1年生はデッサン、レンダリング、CADの入門編で表現や技術を磨きます。2年生では、スピードシェイプしようとスタイルフォームを削って、ピカピカに塗り上げ、プロトタイプを作る練習をします。さらにいまどきは3Dプリントもして、スキルを積み上げます。3年生になったら、例えば「車椅子を作ってみろ」といった具体的なテーマを与え、実践を繰り返すというのが典型だと思います。でも、僕らのデザイン情報学科メディアデザインコースには、いろいろな学生がいます。「レンダリングできるようになれ」と言っても、「私はプロダクトデザイナーにならないので」と、テンションの低い学生も大勢居る。そんな中、積み上げ式の技術をしっかり身につけさせる内容にはしにくいんです。だからopenFrameworkもやるし、デッサンも、CADも3Dプリンターもやる。いろいろやるけれど、どうしてもざっくりした内容にならざるを得ないんですよね。悪く言えば広く浅く、何かができる人が育ちます。それはいい面もあるし、だめな面もありますが、縦割りのプロダクトデザイン学科で育った学生を必要としないプロダクトデザイン会社が現在は結構あるそうですね。縦割りで育ってきた人は、造形力に優れているけれど、社会がどういう状態になっていて、以前とは何が変化して、今は何が求められているのか、そういった一段メタな思考で何かを作らないといけないとき、プロダクトデザインだけをやってきた人はどうしても物に落とし込もうとしてしまう。本当は物すらも必要ないかもしれないのに。そういった人材だけだともはや業務が成り立たないと聞きます。造形力やデザインを生み出す馬力は、ここの学生たちと他の美大生たちを比べると絶対に敵いません。でも課題の与え方は、広い話題から入っていくことが多いので「広い視野でどういう人が関わって、どういう社会の状況の中で、何を今生み出すべきか」といった話はできるので、視野が広くなっていると思います。お陰様でここ数年は、みなさんもよく知る企業のデザイナーとして、就職していく学生が増えてきています。

BAKERUの学校
『BAKERU』が、文化庁「平成31年度 文化芸術による子供の育成事業〜巡回公演事業〜」に新設されたメディア芸術の枠で採択されました。 同事業は、全国の小中学校の子どもたちに対し、文化芸術を体験する機会を提供するもので、将来の芸術家や観客層を育成し、優れた文化芸術の創造に資することを目的としています。 この度、WOWは小学校の授業時間にあわせた特別授業『バケルの学校』を制作。 授業の1日目は、東北郷土芸能の紹介と行山流舞川鹿子躍の実演に加え、児童自身のストーリーを形にするオリジナルお面作りを実施。2日目には、そのオリジナルのお面を使って『BAKERU』の体験と、メディア芸術を支える技術の体験授業を行います。子どもたちが、それぞれの地域への伝統・文化へのまなざしや、メディア芸術へのリテラシーを獲得することをねらいとしています。

BAKERUをジャパン・ハウス ロサンゼルスにて公開
2019年7月17日から10月20日まで、ジャパンハウス ロサンゼルスにおいて展覧会「BAKERU: Transforming Spirits」を開催しました。展覧会では、『BAKERU』の展示に加え、作品の背景となる東北地方の芸能や工芸などの郷土文化を合わせて紹介。関連イベントとして、BAKERUのモチーフの一つになっている岩手県の芸能「鹿踊」の演舞やトークイベントを開催し、様々な文化が行き交うロサンゼルスで、文化的な背景を深く知りながら作品を体験できる展覧会を構成しました。
BAKERUオリジナルウェブサイト