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「POEM」制作メンバー座談会 Vol.1 コンセプト篇

参加メンバー

Creative Director 中路琢磨 / Art Director 工藤薫(オンライン参加)

 

2021年夏に発表されたWOWのオリジナルショートフィルム作品「POEM」。人類史のなかでも特異な造形性で知られる縄文土器にインスピレーションを得て、日本の深層に息づく精神性をビジュアライズした作品です。太古の人々と自然の関係、命の循環に想いを馳せて描き出された“縄文人の詩”は、どんなコンセプトのもとに、いかなるプロセスを経て完成を遂げたのか。

その秘密に迫るため、WOWの制作メンバーによる座談会を2回に分けて実施。Vol.1となるコンセプト篇では、企画&クリエイティブディレクションに携わった東京オフィスのクリエイティブディレクター中路琢磨と、仙台オフィスのアートディレクター工藤薫による対話を通じて、作品に込められたビジョンをひも解いていきます。

 

 

Planner / Creative Director:Takuma Nakazi
Director / Designer:Hiroshi Takagishi
Designer:Itsuki Maeshiro, Ryoichi Kuboike
Music:Marihiko Hara
Executive Producer:Hiroshi Takahashi
Producer:Yasuaki Matsui

 

“縄文”というテーマに行き着いた理由
 
中路
もう20年近く前になりますが、実は工藤さんとは水野祐佑さんと三人で結成した「JURYOKU」名義で、オリジナル作品を発表するなどしていましたね。なので“縄文”というテーマにしても、工藤さんにはおのずと伝わっている部分があるのでは、と思うのですが……。
 
工藤
確かにそれはあります(笑)。僕が覚えているのは、東北の風景をテーマにしたショートムービー「The Poetry of Suburbs」(2005年)を一緒に制作した時のこと。その土地の風景や環境を興味深そうに探求していく様子が記憶に残っていて、今回の作品もいわば、その延長線上に位置付けられるのかなと思いました。
 
中路
あれはちょうど仙台に2年ほど住んでいた頃のことで、大阪出身ということもあり、東北の風景がとても新鮮に映ったんです。文化や歴史背景について教えてもらったり見聞きしたりするなかで、「この風景を映像として表現したい」と思ったことが作品につながりました。まさにその延長線上という感覚で、日本の精神性や“祈り”について深掘りしていくうちに、ルーツというべきところへ行き着いた感じですね。
 
ーーいわば日本の精神文化の最深部につながるテーマですが、それをどんなコンセプトへ落とし込んでいったのでしょう?
 

 
中路
唐突な話になりますが、エジプトのピラミッドをはじめとする古代遺跡には、現代では考えられないような権力や労力を費やして作られたものならではの、ものすごい力を感じます。実は縄文土器にも同じような感覚を覚える一方で、ある疑問が浮かんできたんです。グロテスクさと繊細さを持ち合わせた、造形を超えたエネルギーの塊のような形……それを、一体どうやって作り上げたのだろう? 縄文時代の日本には国家のような巨大な体制はまだなかったはずなのに、これだけのものを作り出すエネルギーはどこから来たのか? そう考えてみて、この造形を生み出したのは原始の信仰、自然の中に宿った神に対する祈りやおそれのエネルギーではないかと思い至ったんです。
自分の想像になりますが、当時の人々はドングリやキノコなどを採集する一方で、クマやシカ、イノシシなどをタンパク源としていました。こうした動物は人間よりも身体能力が高い点で、それ自体が神のような存在ともいえるし、あるいは神である山からの使いともいえるかもしれない。だからこそ、その牙や爪などを飾りとして身に着けたり、自分の命をつないでくれるものとして祈りやおそれの対象にしたのだと思います。そういう視点から、縄文土器の突起の部分に表された動物の角や牙、鳥やキノコやイソギンチャクを思わせる有機的なモチーフを見ているうちに、ふと「映像みたいだな」と感じました。
 
ーー縄文時代を象徴する火焔型土器はその名のとおり、火焔のような形の突起が特徴ですが、その形からビジュアル的な連想が広がったわけですね。
 
中路
はい。映像といっても、一つのルールのもとにタイムラインがあるのではなく、いろんな断片がボコボコ付いているイメージでしょうか。それを自分なりにひも解いたら、それだけで映像になるんじゃないかと思ったんです。では、文字を持たなかった縄文人にしかわからない世界観をどうやって表現していくか。絵コンテを描き、編集を進めていくうちに、断片が無骨に折り重なるような構成が“縄文人の詩”のように感じられてきて、「POEM」というタイトルを付けました。
 
WOWのルーツ・東北と縄文との深い関係
 

 
工藤
縄文土器からインスピレーションを受けたさまざまなモチーフで構成される映像を見て、「中路さんからは縄文土器がこんなふうに見えているのか」と感心しました。オオカミやシカなど、信仰の対象になっている動植物を敬い、感謝する気持ちを中路さんなりに解釈しつつ、そうした野性的な要素をダイナミックかつ繊細に表現している点に心惹かれましたね。
 
中路
個人的に、いわゆるきれいな編集が得意じゃないんです。どうしても、素材を単純に並べていき、一連で見た時に全体のフィーリングが立ち上がってくるという編集の仕方になってしまう。全体の塊としてはインパクトがあるけれど、部分単位では何を言っているのかわからない……その意味では、縄文土器とも似ているかもしれない。つまり、自分が作りたいと思う表現と縄文土器には親和性があったということですね。
ちなみに僕の場合、そうやって興味の趣く範囲内でやりくりしようとする癖があるけれど、工藤さんは東北に伝わる伝統行事をモチーフにした体験型インスタレーション作品「BAKERU」(2017年)にしても、しっかりフィールドワークを積み重ねて制作していますよね。
 
工藤
調べていけばいくほど、自分が暮らしている土地のすぐ近くに数多くの郷土芸能や祝祭行事が受け継がれていることに気付かされたんです。そこから興味が深まって、さらに自分たちなりの解釈を加えて表現するというアプローチになった。まずは自分たちの「知りたい」という探求、次にそれを多くの人に「知ってほしい」という想い、この2点が自分の中のモチベーションになっています。
 
中路
その話を聞いて、仙台に住んでいた頃に話していたことが蘇ってきました。東北って、日本のメインストリームの歴史から見ると仲間はずれにされてきたようなところがありますよね。関西出身者から見ると、関東の神道や仏教はかなりシステム化されていて、“祈り”よりも“願い”のほうが強い。例えば、お札を買えば護られる、100回お参りしたら地獄へ落ちないというように、ギブアンドテイクの仕組みが根付いている。一方で東北には体制化される以前の信仰がたくさん残っていて、“祈り”の要素が強く感じられる。大和朝廷が進出してくる前のエミシの文化もそうですし、縄文文化にもアイヌの信仰と通じるところがあります。まだまだ知られていない、独特な世界が広がっているはずだと思うんです。
 


(上)体験型インスタレーション作品「BAKERU」(2017年)
 
 
縄文の精神文化をどうビジュアライズするか
 
ーーそうした精神文化をどうビジュアルに落とし込むか。まさに腕の見せどころであり、難しいところでもありますね。
 
中路
たとえグロテスクな表現でもオブラートに包まずに、今のCGで表現できる最大のパフォーマンスを生かした映像を作れるはずだと信じて取り組みました。一方で工藤さんが手がけた「BAKERU」では、神々を親しみやすくキャラクター化しながらも、自然の摂理や世界観をきちんと表現している。僕にはとてもできないアプローチだけど、根底の部分では共通するものを感じます。
 
工藤
「BAKERU」には、「こういう郷土芸能があるんだよ」ということを伝えたいという明確な思いがあったんです。でも「POEM」の場合は、縄文文化というある意味“誰にもわからない世界”を中路さんの解釈で表現している点が大きな違いであり、面白さになっているのかなと。
そういえば思い出したんですが、レクサスのライフスタイル型提案マガジン『BEYOND BY LEXUS』の企画で、三内丸山遺跡をはじめとする東北の縄文遺跡を巡ったことがありました。あの時も感じましたが、残されたものやわかっている部分から想像を膨らませていく面白さが縄文にはある。例えば、土器には煮炊きする機能だけでなく、亡くなった子どもの骨を納めて玄関の下に埋めておくという習慣があったかもしれないという話など、現代人の想像を超えた使われ方をしていたかもしれない……とか。
 
中路
確かに、科学的に「これはこうでした」と証明するのではなく、断片的なイメージから「こうだったんじゃないか?」と自由に言える題材だからこそ、面白みがある。それは間違いないですね。あとはやはり、縄文土器の造形のとてつもなさ。岡本太郎の縄文土器論を読んでいたので以前から興味は持っていたんですが、心を動かされたきっかけは、東京国立博物館で開催された「縄文ー1万年の美の鼓動」(2018年)を見に行ったこと。写真ではなく、初めて見た縄文土器の実物にすごい衝撃を受けました。
 
工藤
ちなみに、映像の最後に出てくる火焔型土器は?
 
中路
あれは新潟県で出土した火焔型土器で、フリーで公開されているスキャンデータを使っています。ただ重要なのは、土器を表現したかったわけではないこと。表現したかったのはあくまでも、縄文時代から脈々と自分に至るまで受け継がれてきた、祈りやおそれという要素です。なので、畏怖の気持ちや“念”のようなものが表れるように、ちょっと恐いトーンで作っています。
 
工藤
流れとしては、いきなり答えを出すのではなく、ちょっとずつ種明かしをしていく構成ですよね。細胞の視点や抽象的な表現から始まって、「えっ、何これ!?」というところから視界が広がり、種明かしをしていくプロセスがしっかりあって、最後にドンと縄文土器が登場する。ただ、これはクライアントワークでは難しいアプローチですよね。
 
中路
確かに、普通の仕事だったら「もっとわかりやすくして」って言われておしまいになる(笑)。クマやシカの体が解体されて内臓が出てくるシーンにしても、まず難しいですよね。今回は内臓をエネルギー体として表現して、それが人間の命になり、神として崇められることで動物たちへ巡っていく。最後の炎のオオカミは、食べられると同時に崇められる循環的な存在を表現したくてできあがったデザインです。
 

(上)リサーチプロジェクト「いのりのかたち」 Teaser Movie(2021年)
 
 
ライフワークから生まれる表現の強度
 
中路
それにしても面白いと思うのは、東京の僕と仙台の工藤さんがそれぞれに同じようなテーマを追求していて、出てきたものが違う表現になっているところ。もしよく似たものになっていたら、強力なボスがいてトップダウンで作っている印象になると思うけれど、そうじゃない。
 
工藤
ジャパン・ハウス・ロンドンで展覧会「WOW : City Lights and Woodland Shade 都市の光、郷の灯」(2019〜20年)が開催された時のことですが、現地の方が言われた「東京と仙台、それぞれの表現がよく表れているのがWOWの面白いところだ」という言葉ともつながる話ですね。そもそも「POEM」は、いま東北で進めているリサーチプロジェクト「いのりのかたち」の作品の一つにしたいくらいです。それくらい、考え方や感覚として共通するものを感じる。
 
中路
気付いたら同じようなことを探求していて不思議だし、それが面白い。僕に関しては、縄文に限らず日本に受け継がれてきた“祈り”というものに興味があるんです。一方で、体系化された“願い”の仕組みには関心がない。自然や土地に対するピュアな信仰に憧れますし、それを映像として表現できたらいいなと思っています。
 
工藤
それはぜひ、中路さんのいちファンとして見てみたいですね。僕自身は、地域文化を掘り下げていく活動をライフワークとして、プロジェクトのメンバーと一緒にこれからもやっていくと思います。全国の小学生に「BAKERU」の体験を通して郷土芸能やデジタルアートに関心を持ってもらう「BAKERUの学校」というプロジェクトも続けています。一過性のモチーフとして扱うだけではなく、自分たちが学び続けていく姿勢を大事にしながら、これからもたくさんの人たちに伝えていきたいです。
 
佐々木路瑠(WOW PRチーム)
最後に私からも質問です! 「POEM」には表現としての強さや密度を感じるのですが、ここまで強度のある作品を作るにはどうすればいいか、アドバイスをお願いします。
 
中路
それは、とにかく時間をかけること。日頃の仕事とは別に、自分が納得いくまで突き詰めていくこと。もちろん大変な労力がかかるし、わがままを貫くことになるけれど、そこは戦って時間をしっかりかけていかなければならない。でもWOWはそれができる場所だと思うし、それに誰でも本当に好きなものが一つは必ずあるはずだから。広告の現場では「同じテーマを別の機会に出してはいけない」というルールがあるけれど、僕は絶対にやりたいものであればなんとかチューニングして、企画が通るまで出し続けてきたんです。それで実現できるタイミングが来たら、一気に力を注いでいく。ようは、好きなことを突き詰めるということだと思います。
 
 
<Interview & Text : Keita Fukasawa>

Epilogue

次回Vol.2のCG制作篇では、中路と制作メンバーによる制作プロセスの裏話を公開。それぞれのシーンに込められた意図や細やかな工夫、ブレイクスルーにつながったモチベーションなどが語られます。こちらもお楽しみに!

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