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めぐみ
Concept
酒をテーマにしたインスタレーション作品
日本の「酒」は、酔うことで姿形の見えない神様とつながるものとして、祭事などでも用いられてきました。また、特に科学が発達していなかった頃には、酵母という目に見えない存在の力によって米が酒に変わることは神秘的だったため、酒は奇跡的な生産物であり、酒づくりはいまも常に信心深い姿勢で囲まれています。酒の周りでは、私たちは常に目に見えない存在と共生しているのです。本作では、リサーチを通して出会った酒を取り囲むさまざまな生命や信仰を「かげ」として抽象的に描きます。「かげ」という言葉は、光によって生まれる「影」という意味をもつ他、曖昧な姿形のことも指します。本作は、鑑賞者とのインタラクションによって、展示された酒器から伸びる影が変化するインスタレーション作品です。鑑賞者は影の変化を完全に目視することはできず、気配を通して存在を感じる体験になっています。
Director Saki Kato, Rin Matsunaga
Designer Rin Matsunaga, Shinya Kikuchi
Programmer Seiya Takasawa
Special thanks 株式会社小嶋総本店
いのりのはなし
今回、私たちはこの作品を通して様々なリサーチやフィールドワークを行いました。
「酒」のいのりのかたち
作品の解説
本作品は、酒を通して目に見えない存在に目を向けるインスタレーション作品です。酒にまつわるさまざまなモチーフが酒器と光によるコースティクス(集光模様)の中から立ち現れ、その様子は体験者の動きによって変化します。酒造りの現場を訪問して出会った、目には見えない生命や信仰を抽象的に描き出そうという試みです。
酒の起源
私たちが日々の暮らしの癒やしとして飲む酒。その中に、「日本」の名前がつく「日本酒」があります。世界的に飲用として生まれた酒が多いのに対し、日本の酒は姿形の見えない神様とつながる神聖なものとして、古くから祭事で用いられてきました。米は日本において神様にささげる食べ物であり、発酵や腐敗が進んだものは「神様が食べたので色が変わった」と捉えられ、神聖になったもの=神様と人間をつなぐもの、という認識があったといわれています。
酒は、日本では田植えや稲刈りの際に集落の一体感を生むために用いられ、現代では嗜好(しこう)品として日常的に飲まれており、景気付けや打ち上げ、親睦を深める場に欠かせないものとなっています。神様とのつながりだけでなく、空気や場といった人と人とのつながりを生み出すものだともいえます。
目に見えない存在といのり
科学が発達していなかった時代、酵母という目に見えない存在の力によって米が酒に変わることは神秘的な現象であり、酒は奇跡の産物でした。目に見えない存在との関わりは一つの信仰のように造り手の生活に浸透し、今も受け継がれています。
目には見えないものへの畏れや敬いは、新型コロナウイルスの脅威を体験した我々にとって今、向き合いたいテーマだと考えました。手に付着したかもしれないウイルスを、空気に漂っているかもしれない飛沫(ひまつ)を、私たちは日常的に想像しながら、共に生きる道を探しています。顕微鏡を通さなければ見えないウイルスは、私たちにとってその存在が曖昧です。運や霊と呼ばれるものも同じように曖昧な存在で、見えないからといってその存在を否定することはできないのかもしれません。
いないけどいる、いるけどいない。そういった存在を信じて行動することは、私たちの一つの「いのりのかたち」だと思いました。
酒蔵見学
2020年10月、作品制作にあたり、山形県米沢市の小嶋総本店の酒蔵を見学させていただきました。小嶋総本店は「東光(とうこう)」の銘柄で知られる、創業400年を超える酒蔵です。
麹(こうじ)菌や酵母菌といった微生物によって、酒は造られます。それらは生き物であるがゆえ、ささいなことで味が変わってしまうこともあり、酒造りは現代でもなお失敗してしまうことがあるそうです。知識、技術、経験により予測は立てることができますが、最終的には人が麹や酵母の様子を観察しながら酒造りは進められます。
蒸米に麹菌を繁殖させ麹を作る、最も味を左右する日本酒造りの要の作業を「製麹(せいぎく)」といいます。麹は温度・湿度が高くどんな菌も育ちやすい環境で育てるため、雑菌が繁殖して麹が駄目になってしまうこともあるため、製麹は特に大変だそうです。小嶋総本店の小島 弥之祐さんは「30日間の子育てのようなものです。常に気を配り、まるで赤ちゃんの世話をするような感覚です」と話します。それだけに、一つ一つの工程で、米や麹は非常に大切に扱われていました。製麹中の麹に対して、「置いてある」ではなく「いらっしゃる」という言い方をされていたのも印象的でした。
大変なのは、製造手法だけではありません。酒の種類によっては、朝早くから夜も寝ないで造る酒もあります。そんな作業中に誤ってタンクに落ちると、充満した炭酸ガスにより二酸化炭素中毒となり、死に至ります。実際に全国の酒蔵で何年かに一度、転落事故で亡くなる方がいるそうです。そのため、1年間無事に酒造りができ、皆さんに喜んでもらえる酒ができるよう、造り手の方々は祈とうやお参り、神事を大事にしており、蔵の所々に神棚や瓶子が置かれ、神棚には造った酒が供えられていました。
命のない「もの」ではなく、目には見えない微生物たちと一緒にいる感覚。常に神様に見られていて背筋が伸びるような感覚。普段私たちが感じていないその感覚をかたちにできないだろうか。私たちは酒や酒蔵を取り巻く、目に見えない生き物や信仰のかたちに興味を引かれ、制作のコンセプトとすることにしました。
実制作
見えない存在を体験する
見えない存在を描く、というコンセプトを基に、酒にまつわるさまざまなモチーフが酒器から現れては消える、という情景を表現しようと考えました。
ミストスクリーンやARなども手法として検討しながら、最終的にはプロジェクションによる表現を選択しました。日本語の「かげ」には、陰影の意味以外に、「人の目の届かないところ」「心の中に浮かぶ姿。おもかげ」「恩恵を与えること。また、その人」(※1)などといった意味があります。今回表現したいものと高い親和性があったため、さまざまな透明な酒器に対して、プロジェクションによる光と影を用いて、実体があるのかないのか分からないような表現を作りたいと考えました。
「かげ」の最適な見え方を探るため、何度か投影実験を行いました。透明な酒器に対して本来影が落ちるところに逆に光を当てると、本物の影がぼやけ、代わりにコースティクスがきれいに現れることが分かり、これを表現のベースとしようと決めました。
※1 スーパー大辞林より
近づくと消える光のテクノロジー
本作品は複数の酒器の周りに、酒造に関連が深い酵母をモチーフとした映像を映し出す体験装置となっています。
ただし、映像をただ映し続けるものではありません。日本酒を造り出す酵母は人間の見えないところで大事な仕事をしています、そのメタファーとして本作品では体験者が近くにいないときにだけ酵母が姿を現します。ここからは、体験者が酒器に近づいたか、遠ざかったかをどのように作品に落とし込んでいるかを説明します。
体験者と酒器との距離は赤外線で測定しています。環境が暗い場合は、赤外線のように目に見えない光を使った測定が有効です。本作品ではLiDARを使った赤外線による距離測定を行っています。
本作品で使ったLiDARでは本体を中心とした270°の扇形を認識範囲としています。認識範囲が広いので、さまざまなインタラクションのトリガーとして利用できます。ガラスや反射体、炭酸ガスや霧にやや弱いという弱点もありますが、暗所で利用できて投射距離が長く設置が容易なので本作品には条件的に合っていました。
LiDARを中心とした270°の扇形でセンシングする都合上、プログラムに送られる信号は赤外線が体験者にぶつかった角度と距離の極座標となります。体験者との距離を極座標上の距離として扱う方法もありますが、酒器が置かれる台座は矩形(くけい)ですので、本作品では極座標を直交座標に変換して使っています。
LiDARを扱う専用のアプリケーションを実装し、その設定画面でセンシングに使用したいエリアを定め、酒器と体験者の距離を割り出しています。その距離データはUDP通信で映像投影専用のアプリへ送信し、体験者が一定距離離れたら映像を切り替えるトリガーとして利用しました。
実際のかげに馴染ませる映像表現
映像のモチーフは、酒造過程で現れる菌を主なリファレンスとして制作しました。菌以外にも酒蔵見学やインタビューを通して印象的だった神狐(しんこ)や波紋などもモチーフとしています。
菌のビジュアルは、忠実に描くのではなくあくまでもエッセンスとして取り入れました。映像は、実際の影やコースティクスとなじむよう、質感を感じさせる白黒で制作しました。目に見えない存在がテーマであるため、有機的な印象を感じさせるような、増殖したりうごめいたりするアニメーションをつけました。
そして酒器の影に合わせて、複数の映像パーツを作ってレイアウトします。菌の映像は動きの重複をなくすためにアニメーションの異なる素材を複数用意しました。また、今回の作品はプリレンダーで行っているため、全て20秒のループ映像となっています。
当初は、A→B→Cの変化をフェードで切り替える予定でしたが、投影テスト後にループに変更しました。作品のコンセプトである「いないけどいる」を伝えるためには、人間(体験者)の前では「隠れる」「逃げる」などといった演出をつけることが重要と考えたためです。
最終調整は、宮城大学の展示会場でプロジェクターや酒器を設置してから1週間行いました。実際のコースティクスと違和感なく混じるように映像の濃度や質感を調整。体験者から見てバランスの良いレイアウトを探りました。PC画面でははっきり映っているものもプロジェクターでは薄かったり、昼間と夜では見え方が大きく違ったりするため、調整に時間を要しました。
最後に
酒の味わいは深く、酒と共に過ごす時間は趣のあるものです。リサーチや制作を通して酒のプロダクトとしての魅力だけでなく、造り手の姿勢の美しさを知り、そこに宿るいのりの姿にも触れることができました。
作品としては今後、酒器の周りに映像をジェネラティブに生成できるようにアップデートすることで、より有機的な存在感を醸し出せるように仕上げていきたいと考えています。